先週のお題?「煮るなり焼くなり好きにして」
今日という日があと七分という時になって、書く練習でもしようという気になり
やってきたら、今週のお題が「煮るなり焼くなり好きにして」というものだった。今日のタクシーの運ちゃんが、年齢不詳の細身小型の男性、もう数回我々を乗せていると言って、住所をスラスラと暗唱した。その声音となんらかの間隔の置き方がアメリカの有名な俳優を思い出させる、前回もそう思ったと思い出して自分でもおかしい、聞いている英語の歌がどこかカントリー。
いきなり尋ねてきた、日本語の「おねだり作戦」ってどんな意味ですか?どうしてそんな言葉を知ってるのかというと、歌の歌詞だという。
「舐めたらいかんぜよ」は? は?
この一年で日本の歌の世界が変わったらしいわね
いえ、この歌はもう五年くらい前ですよ、三人の女性が。そのギタリストが最近死んだとか、スマホの自撮り中に事故になって。
(ふ〜ん、ヤフーの記事のタイトルにそんなこと書いてあったような)
家に着くと、面倒なチップを2ユーロ前後あげる羽目になる。重いドアを渾身の力で開け、鍵束を引きずり出して最初の鍵を最初の鍵穴に突っ込む。自宅のドアにたどり着く間にも、あんな世間を斜めに眺めたような台詞をとおかしい。そしたらここでまた似たような態度の台詞を見てまたおかしい。
2週間ほど前、いきなり自分を罪人と感じ、同時に相対的に価値が上がってしまったうちの旦那のこと(すべてあたしの心のうちの出来事、しかし本人もあたしの心の変化は感じているらしい)、セラピストの40代女性のドクターは、こんなあたしっておかしくないですか?とあたしが尋ねたのに対し、いいんじゃないですか〜 気持ちが軽くなるのなら、と簡単に答えた。
一応、そうか、と受け取ったあと、人を敬愛できることの嬉しさを感じる日々が続いたのだが、勿論また馬脚も現れるし、日々の問題も生じるわけで少し擦れてきた時、また啓示を受け取った。
この2年間、プラスとマイナスの出来事の波に翻弄されてきて、マイナスの波に溺れないようにとプラスの予想外のプレゼントを感謝しながら過ごしてきたのだが、マイナスの波の由来については見当もつかないので考えていなかった。そこへ、目覚めてぼんやりした頭に「業・ごう」という概念が生じた。生きていくことは何かを押し除けて潰して利用していくことであるわけだしねー。
翌日には矢継ぎ早に、もう一つの謎の回答が与えられた。息子にさえ嫌われている父親、ペシミストで非難と誹謗ばかり、つまり自分の偉さを常に確認するタイプの人間とあたしのようなお人好しタイプの間に生まれた理性的平和的心の広い息子、このことをどう意味づけるかの答え、とんでもない答えを教えられたのだ、意識にふっと浮かんだのだ。
つまり、ペシミストの遺伝子の一系統が途絶えたということである。お人好しの遺伝子が生き残ったのだ。びっくり仰天。息子に伝えたら喜ぶかも。
フライパンのガラスの蓋、そのつまみを固定しているネジが次第に緩んで外れた。部品の一つに小さなプラスチックの黄土色のつなぎ?もあったのを、これは無くしそうだから注意しようと、意識的に調理台に置いた。
翌朝、それが見当たらない。紙屑に紛れて捨てたのであればもう処置なしに近い。
午後に、何か踏んだので見ると信じられないことにそれがあった。
有難い、と思ってまた調理台に注意深く戻した。しばらく後にはまた自然に消えた。目を皿のようにして、まるでサーチライトを照らすように舐め回すように見るがない。そしたら、多分(おかしなことにもう忘れていて思い出せない)また床に転がっていた。
もう一つ面白いことを思いつかせてもらったが、今朝はあまりの眠さに起きてメモするのを怠ったために永遠に失ってしまった。残念、こんなことはいくつかある。
そして今日のマイナスの波の締めくくりに、またコンロの火を消し忘れて鍋を焦がし、美味しいスープを台無しにした、これは単に老化の結果であるのだろうが。
そこで、あたしも努力しますし、あとは煮るなり焼くなり好きにしてください、というのがこうして、いつもの神との対話の結句となった。
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