私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

科学関係のことではない、さきの東北大震災の次第にわかってきた情報のひとつ

たまたまテレビでみて、釘付けになった。
釜石市では、100年くらいの間隔で津波にあっていた。
近くは昭和8年であった。
津波の場合の避難場所として、海抜17m前後の山の神社を指定していた。また防災訓練も毎年していた。

しかし近年、次第に記憶の風化がはじまり、住民の5%しか参加しない。なんとか増やしたいと関係者は焦っていた。

震災の前年,防災センターが出来上がった。場所は海抜7mほど。
消防も入っている総合的な施設である。2階建て。津波の避難所には指定していなかった。

住民からの声、神社などへ訓練で上るのは年配者には大変なので、訓練を防災センターへの避難に変更してほしい。
これで参加者も増えるならと、変更したところ、急に%が上がって来た。

そのために、次第に参加者の半数近くが誤解してしまった。津波の避難場所もここであると。
消防隊員であった男性,娘と孫をそこへ避難するように言った。誰もうたがわずにそうした。そして2階建ての建物を、わずかに屋根裏を残す程のたかさまで津波が襲った。

しかもそこには100人を超す人々が集まっていたのだ。
何と言う不運。
ほとんどが攫われたり、そこで遺体となって発見された。
かの消防隊員の娘と孫も。
その写真をみせたが、実に美しいふたりだった。
龍が欲しがったとすら思いたい程の。

奇跡的に生き延びた老年の男性は、二階にいて、ホールへと波から逃げた。しかし波は彼をホールの奥へ突き飛ばした。天井まで20センチ程の隙間しか残らなかった。しかもつかまるものはない。泳いでいた彼がついに力尽きて床に沈んだそのとき、目の前に白い電線が見えた。真っ黒な水の中に。
それにすがって上に浮かび、天井裏へはいあがった。そしてたすかったのである。
 
津波がさって、人とものの散乱する中を歩くと、知り合いの女性が倒れていた。がんばれ、というとうん、と言った。しかしすぐにがくっと力が抜け、間もなく亡くなった。
のちの聞き取り調査でも、ほとんどの人が津波の際は防災センターへ避難するのだと思っていた。

当時の防災部長は、そうではない、とはっきり示すべきだったとしきりに後悔している。

不運と言うか,不幸と言うか、
自業自得とは言えない、
運命と言うか、
自分でつねに真剣に考えよ、というか
不条理というか、
わからない。