2020年、三賀日からこの調子?
振り返ってみると(いつも振り返ったばかりだ、一歩下がる、それで2歩進めばいいのだが)、
2018年4月にドイツにまず下見にきた、その前に夫婦で非難の応酬をしてあたしもうんざりしたので理の当然として、奴隷解放的離婚を決意した。
良き時にも悪い時にも、と言い交わしたではないかとさも彼があたしを愛したかのように倫理的DVの旗をかざしたが、事実は良き時などなかったのだ。
心を強く持ってJBに宣言しどんなに恫喝されても引き下がらなかった。どうだ、と言う気持ちがした。覚悟した。
のだが、翌朝システムがアラームを鳴らし、あたしはパニックになっていた、どこからそんな考えに至ったのか、思い返す暇もなかった。
離婚したらとりあえずJBを殺すことになる、殺人だ、それはしてはいけない、厳然たる自分への禁止の声のみが聞こえたのだ。とんでもないことになる!! パニック心理だった。避けなければ。それしかなかった。
そして中間策へ飛びついた、介護人としてだが彼を捨てない、あたしは妻とか家族ではなく、単に路傍の人、介護人である。同じ屋根の下には住むとしても。それは理性的な理由からである。
かくして迷いは一切なく、移住に集中し思いもかけずJBをサイボーグに強化してしまった。それで通常人となれるかと思いきや、JBは腰痛を引き起こし、神経過敏を助長させ、あたしを恐怖させもう心理的肉体的にも限度というところまで追い詰めた、その結果としての非難の応酬の結果、改めてJBから離婚の言葉がでた。
これに対し、あたしがもうパニックにならなかったのは、周囲の友人たちが共依存だと焚きつけたからで、それをあたしもすんなりと理解、するとその意味での「殺す結果になる」ことへの恐怖を感じなくなっていたからである。おかしな心理だ。こんな飛躍を果たしたのは忘れもしない去年9月26日だった。
(JBがあたしなしで状況を打開できるか、問題はこれだ、ヘルパーというシステムがある、ホームもある。JBはこれをしかし嫌う。あたしを死ぬまでこき使おうというJB、そうはさせまい、されまいとするあたし。
こき使う、という表現の背後には彼の世話が彼の悪習のために過剰に大変になっているという理由がある、ハウスドクターもあたしが背負いきれなくなっていると見通している、確かにまだ寝たきりではないのだが)
驚きの結論に飛ぼう。新年2日夜、
バスを降りて坂道を持ちきれないほど重たい買い物袋を引きずり、やっとたどり着いた信号、そこで待つ数秒の間、
「車がないからこそのこの苦労!」と思い、
「父の禁止に逆らっても運転を習っておくべきだっただろう。」と思いつつ道を渡った。歩道へと来た、
「あ、そうか、もし車を運転してたらとっくに事故死している! それは佐藤さんの去年の事故であきらかだ」
(佐藤さんというのは日本で、車のないあたしのために無料でその便を提供してくれた既得な友人である。運転上手でいうところなかったのだが、私が去ってからまもなく、車は対向車に衝突され、あたしが座っていた助手席は完全に壊れたのであった)
あたしは橋を渡りながら、カラカラと笑った。
あたしのパニックはJBのためではなく、自分の事故死が来るだろうことへのそれだったのだ、彼を捨ててはいけない、と思って、ドイツで死なせようと思って、結局、あたしが避けえた事故死という道!!
新結論、だからあたしは共依存などではない、
今や、自分を恐れることなく大きな心で自らの自由な決定権を行使し、理性的にJBの環境を自立可能に整える。
そこには慈愛のシステムという大きな支え、肯定がある。がしかし、あたしの意識がお利口ぶって、救いようのない彼を憐れんで、彼を改善し、真理へ導き大団円で大往生させようなんて偉そうすぎるな、そう言えば。
ここからはもっと新しい見解だ。あたしの中からふっと湧いてきた。ドーラの嘲笑に対して。
「彼の人生の真理は彼が決める、選ぶだろう、妙な教唆や配慮はしない、彼の自由だ、あたしに自由があるごとく。彼の実相を礼拝するのみだ、あたしのするべきことは、それのみだ、いつものように、ただ、正しく潔く間違わないように」
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