私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

頭がまとまらないまま、、

 頭がまとまらない、という言い方はどこかおかしい、とは思うのですが確かにそんな感じなのでお許しいただくことにして、さっさと次に行くことにいたします。
 少なくともわかっていることは何かというと、

 漏れ聞くところによると日本画を描く時、まず薄い色でざっと塗ってから、次第に色味を上塗りして順次、光が物質に反射する結果を模倣して紙に定着させるとか、ですが、それを今思い出したのですが、それは今からあたくしが(今日はなんとなくこんな呼称になりました、自然の動きなので(?)お許しいただくことにして)書こうとしていることもそんな風に、まずは荒いタッチで大まかにスケッチ、色塗りしていき、次第にまとまって現れるようならそれを徐々に再現していく、と言うのはどうだろうと考えたからなのです。

 十分にわかりにくく書いたと思いますが、何しろ、誰にも興味のないようなことを誰も目を止めることもないような年寄りが書こうというのですからこんな自由気ままな有難いことはありません、hatenaさんこの機会には心より感謝しております、何の御礼も致しませんがこれまたお許しいただくことにしまして。

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 現在の時は2019年令和元年11月なかば。13カ月ほど前でしたが、2018年10月、ドイツ移住、ダンナのJBが入院、ペースメーカー装填が終わった年末には、うちのソプラノ歌手の大家さん母娘の年末コンサートに二人で参加するというちょっと晴々しい人並みの行動ができましたっけ。
 さあこれで、感謝したJBがひょっとして、あたくしの願いを全て聞き入れ、下にも置かぬ扱いをしてくれるかと3秒ほどつい思ってしまったのが口惜しい。何故に口惜しいかと言うその口惜しさの始まりが正月4日のこと。ダンナがぎっくり腰になってしまったのです。
 そのきっかけというのが、あたくしの意味嫌う彼の悪癖の一、潔癖症の故なので具体的なことを思い出すさえ腹立たしいのでここでは省かせていただきます。

 息苦しさと腰痛に絶えず直面する朝夕が4カ月、とうとう令和になってしまいました。その間の彼の態度は、簡単に整形外科にでも行けるような制度でも環境でもなく、自動車はない、知人の助けはなし、思い切りがあるでもなく、絶望にふさわしいものでした。そのゆえのJBの悪口雑言には、最初感心してしまいました、こんなにもたくさんの罵る言葉や言い回しがドイツ語にあるものだと。
 しかしそれらは、あまりに単純に理由なくあたくしを誹謗、中傷、蔑視するかなり尋常ではない激しさと憎悪に満ちていました。初めて自分が傷つくのを感じました。その後起こったことを思うと今では、この時の自分の絶望が尾を引いていたのかもしれないとわかります。

 しかし、とりあえずはなんとここから脱することができたのです、あたくしが。それは近くのナーエ川にかかるブール橋に佇んでいた時、誰かの高笑いが響いた瞬間です。おっさんがガハハハと、まるでトトロの口からでも出てくるような胴間声の高笑いです、人間とは思えないほどの声量で川面を移動していきます。
 そうです、人間ではない、あれは笑いカワセミだ。NHK唱歌で流行ったことのある「笑いカワセミに聞かれるなよ、ワハハワハハと笑うだろ」みたいな歌詞が突然湧いてきました。どんな鳥かも知らないが、そんな鳥がいて今鳴いてくれた、笑い飛ばしてくれた、とあたくしには思えたのです。そう思うことが大事でした。
 春から夏にかけて笑いカワセミ観察に夢中になって時間を過ごしました。ちなみに日本の動物園いくつかにも飼われていて、知る人ぞ知る珍しい可愛さのカワセミの仲間だそうです。

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 古い言い回しですが、ドンマイドンマイ、とばかり「困ったちゃん」の「いじめ」を受け流そうと、そんなものに引っかかってはならじ、とばかり今年5月、令和の御代ともなると、まずは末の息子、続いて友人二人の訪問に焦点を当てつつ、日常の買い物や通院その他の社会的通信関係?を整えていく日々の間に、あたくしの自室が2階に完成しました。
 引っ越しの時の段ボールを積み重ねた方丈記並みの簡易ハウスですが。ベッドはなんと空気ベッド、空気の上に寝るのです、仙人のようじゃありませんか!! いい寝心地です、しかもJBは階段を上がれないので下の部屋、さあこれで何の邪魔もないのですから、次第に安定剤も服用しなくなり、今や自称本職となったかの「神の定義の追求」をしながら、自分の健康にも気を使えるかと思い始めた頃。

 なんの因果か、宇宙の思惑などわかるはずもない人間には想定外の出来事が、出会いが準備されておりました。この数年、何者かと語るようになってから驚きの連続、その波に乗ってきたのみのただ今の現在です。(風雲急を告げてきたので、あたくしなどと言うまどろこしい呼称を改めます)
 顔見知りに過ぎなかった近所のドーラ女史が何故かあたしに近づいてきた時(バス停留所で)、あたしにもある直感が働いて笑顔を返しました。お互いに話し相手として不足ない、と感じたわけです。6歳年下で、小太り色白のひとり暮らし。彼女の方から来し方を物語ってくれたところでは、まさに事実は小説より奇なりそのもの、いずれ日本語でひとくさり小説化することになるでありましょう。

 そして自分の実体験と保健関係の仕事の知識から、たちまちJBの本質を見抜き、あたしがその影響で逃げるに逃げられず、もがいているのを察知したのでした。要するに、この手の男は実は弱虫で、相手のエネルギーを吸って自分の小さな世界を守るのが生きる目的であり、そのための手段が妻への道徳的DVである、依存してしがみついてくるのを1日も早く切り離して逃げるのよ! そうでなければもうあなたが滅びてしまうから!  もう遅いのかもね、逃げるのが怖いのでしょ、だから理屈をつけて彼の言いなりで不自由の極み、世話を焼くのをやめられないのよ、その信仰研究なども言い訳に過ぎないのじゃないかしら? 彼女と短時間話している間にも絶えず電話をかけてくるJBを憎々しげに暴いてみせるドーラなのでした。

 それは共依存ともコペンハーゲン症候群とも言うらしいのでした。そのせいでつまりはあたしは精神分裂症みたく、別れたいのか別れたくないのか、その両方に引き裂かれていたのです。しかも片笑みを浮かべながらドーラが言うには、彼の言いなりになって世話を焼くほど彼は深みに落ち壊れていく、あなたのせいよ、あなたが切らなくては。
 これに気付いてから、徐々に話し合いを進めたり入院したりと言う夏を経て、9月には怒鳴り合いを経てJBが「もういい、うんざりだ別れよう」と言うまでになり、10月にはそれでも徐々に、階下と階上の別居生活に慣れてき、流石のJBもあたしのきっぱりとした口調とあたしへの憤怒のために(これについては多々述べるべきことがありますが)、依存的な態度を減らして行きました。ここまでは遅々とはしているものの予想した以上の良さそうな成り行きではありました。

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 数日前、11月17日夜のこと、滞在ビザ更新の件を抱えているあたしは、ネットでドイツのその手の法律を検索していました、ググっていたのです。読んでみても手に余るので、この時ばかりはと検索ページをコピペして彼のメッセージに送信してみましたが、何と見た目とまるで違うアドレスか何かがずらりと並んでいる! そこで追加して「最初の3行のみをコピー検索して」と書きました。

 彼もパソコンで何かしているので嫌がるだろうとは思ったのですが、案の定、面倒なので適当にクリックしたようです。
 すると、現れたサイトはクエッションマークの文字のみでできていたのす。
 Googleに戻ってもそこがクエッションマークの羅列です、試しにウイキペディアを呼び出しても同じでした。ほとんどが使い物になりませんでした。二人とも、どちらも青くなったり赤くなったりして息もつけません。

 これは大変なことになった、とんでもない事態を引き起こした、もちろんJBは怒り心頭で罵り回るのですが、あたしはぐうの音も出ず言い返すことができません。そして不意に、謝罪の言葉を発する準備が心の中でできていました。
 これまで40年近い結婚生活で彼に謝罪したことはありませんでした。あたしの言動は適度なものであるか、せいぜい彼のネガティブ悲観的怨嗟的権力的言動の影響で歪んでしまったことはありますが、根本的にあたしの罪では全くないと感じて恬澹としていることができました。
 妙にスラスラと素直に謝罪の言葉を並べることができました。非常に重要な言葉遣いであり態度でありました。JBもやがて鎮まりました、次の手段を考え始めました。

 翌朝、目覚めてからしばらくいつものように考えるでもなく、問題を提示し直し、隠身と(この古い言葉はかみと言う言葉の由来であるそうです)共に考えてもらっていると、強い考えが浮かび上がってきました。
「これまでの考えの根本は自分は何も悪いことはしていない、全ての苦悩と言動の全ては彼の変な性格の影響でありそれが原因である、と言うものだったが、本当のところ、実は自分が彼の人生を狂わせ、苦しめ、今の姿にしてしまったのだ、おそらく人格の変形も含め」
 確信でした。こんなにもすっくりと浮かび上がってくると言うことは、徒や疎かに考えてはならないとわかりました。途端に、どうしたことでしょう、あたしの心が軽くなりました。彼に罪がないなら、じゃあ、彼は尊敬すべき敬愛に値する人間なのだ、と嬉しくなりました。彼を尊敬し大切な価値あるものと思えることが嬉しかったのです。

 振り返ってみれば、数年前「あなたに罪はありません」と声を聞いてから始まったあたしの真理探究であったのです。今度は逆ですか、またもや心軽く嬉しいとは???

 あたしよ、大丈夫か!!!???
 あたしは一人で笑いました、この嬉しい心はなんとしたことだろう????
 階下から「ごはんもらえる?」と声がするとあたしは優しく「いいわよ」と返事する。心が優しいのがわかる、それが嬉しい。
 あたし、バカじゃなかろうか、おかしすぎる、愛とか和解とか同居とかそんな現実のテーマとは関係ない、なんなのだこれは????

 幸いにも今日は精神科医との予約がありました。待ち構えていたあたしが、強く目を光らせながら受付に行くと、
「あら、取り消されてますよ、ありませんねえ」!!

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