私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

うた心

花狂いは何故だろう

花は人間のために咲いているのではないのに。 うたさえも唄いたくなる。 時よ止まれ、と言いたくなる。 何故にこの美の認識? この性向がヒトの進化に何かの利があったのか。 いくつかの小川の記憶緑なす野はなだれゆく光る流れへ 飽き足らぬツグミの叫び花…

 これまで無理して詩歌文学のたぐいを手放さないようにしてきたが。

結局自分らしさを表現することもできなかったかな。 そのための時間や努力や投資をすることもなかった。 あの人のようには書けない、とか諦めて、真似しないという態度をとったのはいずれにしろよかったが、 それなら自分のできる限界まで試したか。 自分の…

しばし何の邪魔も無く窓の外をぼんやり眺める。

5時には30分あるころなのに、かなり夕日が明るい。 きのうはこのころ曇り空のせいかすでにとっぷり暮れていたのに。 目の前に竹林があるので、いつも眺めている訳である。 ダチュラはもう枝を切ってしまった。水やり仕事が減った。 「夕日受けきらめきを…

 例の「かぐや」の快挙にまだ影響されているのか?

竹取物語という背景を、我が家の前にある竹林がたえず思い出させるためか、こんな定型の詩を書いた。伝はりし竹取の悲話今様は三人(みたり)手を取り眺むる地球

 たまたま目についた俳句のブログをクリック、

ひんやりとした感覚の俳句が並んでいたので、とても心惹かれてコメントしてみる。俳句はまるで作れないのだが。

一日15分程の読書,おつぎは 「黙読の山」荒川洋治である。

これは毎日新聞の受け売りで買った。詩人の随筆集だが、随筆も詩である、というふれこみである。この主張にはおおいに賛成だ。あれこれの局面で,文学作品も,あるいはその一シーンも、その一表現も、まるで歴史の中の事件であるかのように,引用され,理解…

吹かれてる風船かずら種みっつ神の織りたる青き小さき葉 哀れな場所に植えたものではある。小生何といっても英国風庭園派である。 自然と人工のちょっとした触れ合い、という心持ち。というか、実はちょっと怠け心。自然よ思うままにやってくれ。

うちのバックヤードに桜と竹とが生きている。猫もかなへびもまもなく蚊も。

竹の林が急に枯れそうになってきた。ここで写真でも掲載できるといいのだが。見渡す限り新緑であるのに、若竹はみずみずしく青空に突き刺さって行くのに、竹の葉、すなわち笹は黄色くなって風に吹き飛ばされる。この現象が俳句の季語、竹の秋なのだという。…