私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

玄侑宗久と平野啓一郎がインタビューで言っていること

私家版マスメディアのひとつである。
小生のふだん接触する人間の数は、特に言葉を直に交わす人数は5本の指にも充たない。
観るテレビはもっぱらアメリカものである。
おかしいことに、きのうだったか、初めて聞くが、納得させられる社会的概念にぶちあたった。
社会のことは、気をつけてはいるが,新聞頼りである。
驚きのままに書いたのが以下のようなものである。


平野啓一郎「ドーン」分人主義ディヴィジュアリズム
「人間の体は一つしかないが,接する相手ごとに別々の人格が現れる(分人)。その集合体が個人という考え方」〜
ネット、対人、マスメディアという3層のコミュニケーションをつかいこなす、どれも現実と言えば現実だ。
過去を切り離せないために、トラウマとして一歩も前に進めていない。
分人主義は生きづらい社会を生きて行く手段でもある。
いつも同一人格だという発想こそ,実はフィクション
質問:分化した自分が犯罪者になることはないのか。
ネットだってある程度可視化されている。
分人が悪事に手を染めたときやがて分化した集合体である自分が批判される。


玄侑宗久「阿修羅」は多重人格者をテーマとしているらしいが、この意味に付いては先日ここに書いている。
驚く、自分はここ10年近く、いつも自分のカテゴライズに興味を持ち,どうしても自分を分けたくて仕方がなかった。
それを現在実践している。それらを統合して自分を成り立たせている。
こんな老生をも分人化の波が確実におそっていることはまさに驚嘆に値する。