私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

玄侑宗久という作家で禅僧である人物

浅学非才の小生、今回は本当に驚かされた。
禅の修行というのは無になるため、とは聞いていたが
こんな考えが背後にあるということは初耳だった。


我々が、西洋文明から受け取った「個人」とか「自分といういわゆるアイデンティティ」「自分探し」
それらは本当に存在するものなのか、この脳の回路の中に?
確かに環境に左右されていることはわかっているが、それらも含めて「自分」だと意識している。
「自意識」

で、彼は言う。「結局状況の中で生まれ続けていく、果てしないものが自己ですから。
みんな服を着るように情報を着ている。いったん裸になろうよ、というのが禅だし、東洋的な自己との出会いです。
ーー人間はもともと空(から)の器ですよ。
空っぽのところに一つの状況の中で必要なものをそのつど充填する。想定外のことが起こるのが人生ですから。
予断なしに無心で立っているのが一番強い。
かすかな不可思議な状況の中でどう変化するかもわからない。だから言葉でつかまえきれない。」

自分を捕まえることはとてもできない。自分は無い。
流れて行く粒子の集合がこの身体なのだから。

驚いたが、基本的にはかなり納得できる。
新生児の小さな頭の中で、全対応のために神経細胞が密生している。