私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

ちょうど玄侑宗久「アミターバ無量光明」「竜の棲む家」を続けて読んだので。

この作家は僧侶なので、現実の死やそれをめぐる現象を知っている度合いが高いかも、なんて思って、例によりある意味ミーハー気分で手に取った。
脳の中で時の流れを我々は上手く取り繕ってまとめている。現実をいわゆる時間軸に従っているものとして受け入れている。我々に取って時が流れて行くのは厳然たる事実である。脳が機能している限り。
認知症や、末期がんで死の床にある場合、時間の流れは一直線ではない。拘束が失われて過去未来を飛び回り、現在を認識するのに苦労する。そんな登場人物ちなのだが、特に「アミターバ」では医学的に死者となった人のその後の意識があるものとして描かれている。内容的にはちまたで時に聞き知る想像とまったく同じだ。つまり、浮遊した意識が自らの身体を眺めたり、あちこちを訪れたり、最後には光りの海の中に自分としての意識を持ったまま、手招きされて喜んで覆われていく。
作者は、死にいく人々を安心させようとしているらしい。遺された人々をも慰めようとして。
ただ、みんな好人物なのだ。それなりに「正しくまっとうに」生きた。
玄侑さん、どうなんです。そうでない場合は?