私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

セージとともに 2011年混迷深し

明日また往こう、母と話に
セージの巻

       

「せめてみじか歌」

そこここに街に影行く一人居の日々のたつきの古き編みかご

憧るる自由の朝は来るや来ぬ 淋しかるとも生命は光らむ

格言にあらず詩となれ どこかふと言の葉の露やや燐めくと

これの語に意味はた価値も輝きも無きと知る身の草引き屈む

何を得し珠のひとり子生れたれど花咲かむとし散らせしもある

幾月も供花の歌なく水無月の命日くるを知るや明眸




「命あふれて」

南瓜の緑と黄に覆はれて次が待たるる隣人の畠

梅雨晴れの白きてふてふ おほわらは丹精の葉にお邪魔しますと

につくしと花食ひ虫を落としては赤児のごとき脆さもあはれ

キアゲハの母の見つけしからたちを護りたき我れ赤児を落とす

母アゲハ次の日にも来 五十ほど柔き葉の上よろばひて産む




「ただ穏やかな日々を」

今この日安穏なればあしたもと願へど雲のゆるらに流る 

孤愁すら恵みの日なるにふと浮かぶ何かに怖れ遠く逃げたし

笑ひ合ひて朝夕過ごす願ひさへ容易ならねば諦めし数

子と夫に意味を問はるる短歌とは民の心の削ぎたる記録




「相談相手は弟」

前向きの弟なるをわづかなる残余なるとぞじゃれ合ひし頃

子育てや愛や仕事や結婚を蔑(なみ)し社会と無縁に生きし

運命を信じし軽さ難題を乗り越えざりしわが愛弱き

もう自虐やめませんかと言ひくれし人とも会はず逆縁幾年

手応えはビタミン剤のせいであれ一時だけは心泡立つ




「外の世界」

ブラインドを透かし眺むる陰影のとぎれとぎれて人等束の間

家々に時に喧噪もれくるも誰かの我慢に崩壊免る

空港へ涙構はず急ぎしに勇気崩れて葬儀に行かざり

海と空あはひに架かる大橋をひた走るバス 色無き世界を ==東京湾アクアライン

濃淡の利休鼠のあはひへと船は消えゆく吾は水底へ

海底に閉じ込めらるる定めかと地震怖るるにふと日の中に出る




「余震に遇いつつ終の住処か」

その一瞬予期せぬことの起こりしが「日本沈没」すでに予期あり

無謀にも東京湾を跨ぐ橋風に煽られバスは堪えつつ ===東京湾アクアライン

小舟より東京湾の底に立ち働く人ら潮の引く間を

なぜか良きガラスの家はしっくりと隅々までも惜しも我が家

見比ぶるきうりや茄子の花の色それぞれに佳し葉も怜悧なる

庭に生ふる柔きイネ科を踏みて舞ふひとり稽古に蚊もくる夕べ

借景の桃や柿の葉無花果は白き我が家の品よき飾り

笑ふがのかぼちゃの葉には大きさもこれほどなるべし花真っ黄色




「愛のわけ」

ひとときを母と過ごせる帰るさの暮るる坂道父さんと呼ぶ

昼寝より目覚めし孫は枕つかみ即片付けぬ園のしつけか

見渡すに子ら健やかに設計図違わず生ひて水瓜を齧る

孫一歳また遊ぼうね我が言ふにこつくりしてみせ見返りて行く

この愛の理由(わけ)は思はずいつまでも待つうらうらと土曜日の駅

集ひ来て挨拶交はす声々の駅舎に高く明るく響く

理不尽に砕かれて往く日々のこと子らは嘆かず母を巣立てば




「今昔」

阿蘇の野に若きら座して他愛なきじゃんけん遊びふと思ひ出づ

才長けし吾なりしにと悔ひいるがこれぞ非才の証しなるべし

浮かれ唄眺むるばかり視聴者の一生も僅かそこそこ気楽

戸も開けず籠るふたりに細々とたつきの柱個人年金

ブランドの腕時計もう用無しとソーラー電池を要に動く

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