シャガとともに 2011年を転がる
子どものように母は「来てね」と
シャガの巻
「大移動を果たして」
電話力知力体力積年の我慢力生く大移動かな
黄ばみたる手紙に母の心配を読むけふもまだ不孝の止まず
歌ふには事実の無惨 音の数三十一の美し気なる
ありさうで突拍子もなき生温き夢の世界へ昼寝などして
良き過去にあらざりて さて落武者のよろける幅も無き道を見る
「初めてまみえる景色」
人工の放射能吹く風の地に移りし決意ガチンコ運命
山稜の見えぬ眺めに棲み着くと小さき竜巻数秒を舞ふ
渺々と平らなる地に北を指す山の端なくて迷子の暮らし ==どこまでも平野
町並みは廃屋またはニューホーム小佝痩身路地に老人
雲の壁つなみかと見ゆ 頭上にはザトウ鯨ののしかかるかに
死にし子の空はいかにぞ冥かりし玻璃戸危ふきカラっ風に遭ふ
「庭の爽やか」
引っ越しの残せる痛みかばひつつ野原横切りたんぽぽ元気
鉢のまま運ばれて春 露草の瞳の色は他に無き深さ
イクメンの子の押すバギー ライフまでローズ匂へる生垣沿ひに
越してきたカンナ露草あをあをとさらなる日々へ作る思ひ出
すずかぜに白き山吹 ゴーヤ苗の細きらせんを巻き付けやりぬ
水面澄む早稲の水田いつよりか房総の地に人の住み初む
風荒るる枯れ野なりしに水張田の整然として空をも揺らす
「我が家と呼ぶ」
自らを愛することがどうしても人のスタート逆説なれど
ふと浮かれ新所帯めき購へる家具鮮らけく余生なるかな
老年の小さき喜びイエローの書斎と名付けモンステラを置く
穏やかに明けたるけふもやがて風びうぶう唸るガラスの家に
風の凪ぐ午後三時すぎ音も絶えただ陽の白き長閑の世へと
「悪あがき」
今で言うアラフォーの頃、夫に若い女と浮気され、女(あざみという毒々しい名であったが)がいよいようちに夫を連れ出しにまで来た。
そして自分が若いことを盾に、悪アザキやめたら、と私に言う。
私は真面目に悪あがき、と訂正した。あざみも悪あがき、と訂正した。
しかしまた間違う。また訂正する、それをくり返すあざみ。
包丁を手にしての話である。
ともかく悪行尽きて夫はお払い箱となり、死病にもとり憑かれ、平屋で古くて安くて都市ガスでネット接続を条件の貸家へ引っ越すはめになった。勿論ほぼ田舎である。
まあしばらくは罵り合いつつこの世にいるのだろう。十年だろうか。
けっこう焦ってくる。絶望してくる。諦めるほか無い。
何かができる、社会の中で何者かであり得る、専門家になる、何かを後世に残す、夢の夢がパチンとはじける。すがるよすがもないのだ。
しかし、ここ十年勝手に短歌めいたものを作っていたので、せめてこんな凝縮活動を試すことにした。
「短歌とふ一首の独立こそ独自 凝縮されたるため息の花」
「小説を書くは退屈 詩はどこか放恣 句作は覚悟の薄し」
「せめてこの恨み節ならお得意と なけなしの利休鼠の雨の日々」
「口をつき言葉になれど眼はかすみとことん突き刺す焦点見えぬ」
ーー問題はしかし我の情けない人格にある。
「間違いはあの分岐点 しかしあのままでも堕落俗物の坂」
「世を外れ何も要請されぬまま望みも意気も閂の文字」
「どう言えば申し開きがたつものか神のみ前に怠惰の理由」
「成し遂げしなく 役割も果たさずに 役にも立たず放浪もせず」
ーー死を切実に感じる。次の瞬間が今際のときであるかもしれないのだ。
「この歌が最期の思惟であらばあれ 歩みの果ての愚言述べたり」
「もし明日に死の待つとせばこの今を惜しむも愚にて無念の遅さ」
ーー通りを歩くと、あちこちに後期高齢者の方々が独り住まいらしいのを多く見かける。
「どうだらふ老婆あれこれ見つつ行く終の姿の品定めして」
ーーにもかかわらずふと、この夏一番の朝顔の花に出逢うと、同じ生物の美の喜びを感じる。その能力にはまだ衰えはないようだ。
「朝一番 赤紫の朝顔の初姿見し バスの窓より」
このバスにもお年寄りのみが乗っている。
仕方ない、年貢の収め時とはなるのだ。
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