私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

新聞の印刷技術の向上は庶民には名画鑑賞の機会を提供してくれる

などとは、実は自分としては情けない話だが。
それにしても、時間があると思ってコーヒーを飲みつつ書き始めてみたら、手順を間違うは、ミスタッチを正そうとして同じミスタッチ、消そうとして被害甚大、新たに書いてもまたミスタッチ。きのうの頭痛の名残があるし、こんなにも能力低下して、驚く。

つまり、小生の夢想する美的生活の一として、室内の壁を好きな図柄で埋める、という衝動がある。
たとえば新聞紙面半分の平山郁夫さんの絵や、特に金色を背景にした竹林の写真は額縁に入れて愛でている。
広隆寺阿修羅像、青く蒼く碧い南国の海、霧の渡る松林、
ついでながら、英国渡来の銅版画?猫と書斎、猫とアトリエ、猫と桜、この3枚は大切なものだ。
Manhattan blueと白地に金で書かれたジグゾーパズル、ともかく大きい、縦1メートルはあるだろう。
これも決して捨てるつもりのない絵柄だ。
幸せな頃の、栄華の象徴のようだったツインタワー、その夜景なのだ。
そのころは、我々もまだテロリストを知らず、ついでに温暖化も知らず、呑気に未来を信じて自分の安逸のみを考えていたのだ。
そのころは、自殺者が3万人になろうとも知らず、うまくすり抜けて生き延びたのを、してやったりと舌を出していたのだ。
また逆に、そのころの苦しみはもう終わって、残骸が残っているだけだ、おそらく静かに。

その他は、あれこれの絵はがき、特に一見幼稚なパウルクレーの心模様。
自分で写した桜と紅葉の庭、写真をつなぎつなぎして長く壁を横切っている。
写真なので、次第に色あせしてきた。
あとは富士山のカレンダー、猫と花のカレンダー。

そうだった。昨日の新聞の広告チラシも色美しいのがあったので、お絵描き練習の参考としよう。