私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

承認欲求、という新種の言葉がちょうどここらの狭い範囲を賑わしている。

マズローという哲学者だかが、使い始めた概念らしい。
小生もいつも不思議に思っている。
生物は競合している。競い合って一歩でも一ミリでも周囲より優位でありたいと思っているらしい。
自分自身がよりよく生き延びるため、さらにはより良く生き延びられる遺伝子を獲得するため、であるかのように見える。
(というか、実は生き延びた形態が適応的だった、というだけなのだが。)


しかし、そういう次元ではなく、問題は馬鹿でかいマクロ生命共同体としての人間の頭の中での強力な感情のことなのだ。
社会の中で、あるいは自分自身の中でも満足することを知らず、より強烈な承認を欲求している。
知識と情報と可能性が大になればなるほど、飽くこと無く承認欲求は巨大になっていくだろう。

この事実が、生物の進化の結果にどう影響していくのか。もし環境が余り変わらないとしての話だが。


これと同じ疑問につながるのだが、長い眼で見た時、一体どんな傾向の人間が生き残るのだろう。
暴力的な?あるいは平和的な?恋愛中毒的な?知能の高い?親に正しく教育されたら?予知能力の有る?


数日前、目覚めて突然に、はっきりと思った(奇妙に冷静な精神状態で)。
日本はまもなくほろびるだろう。親は子を殺し、子は親を殺し、夫婦で殺し合い、頼まれて殺し、自分を殺し、その方法が流行し、見知らぬ人を大量に殺し、このすべてをとどめる術もない。


同じ頃思ったのは、若者や子供が、漫画を読んでいるが、かなり古い時代のものも読まれているらしい。60、70年代からの。
或は放映されてもいる。
そこにははっきりと日本のその時代までの日本的心情が、強く発信されている。
子供はけっこうそんな時代の見方を刷り込まれているのでないのか。
資本主義社会が要求する人間の形と、日本人の大部分が抱いている心情とはぎりぎりと刃こぼれのするような摩擦状態を呈している。