私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

原子はなぜ小さいか、というのは逆説的な質問であって、たとえば人間は大きい必要があるのか。

最近のお休みなさいの本、生物と無生物のあいだ、というのだが、夕べはなかなか眠る段にならなかった。
筆者の福岡、とか言う人の名文もさることながら、こんな「生命」の定義を始めて知って何故これまでこのことを聞き知る機会がなかったのだろう!! と叫びたいくらい実に残念だったのである。
自己複製することをもって定義とする。それは正しいらしい。しかし、もっと下位の極小単位のレベルにおける定義が可能となったのらしい。一体いつから? その端緒をたどるのがこの本の目的である。その際に、研究に身を捧げたのに運悪く栄誉を得られなかった研究者たちの存在もおのづと語られ、人の世の不条理をどうしても思わされる。


話は飛ぶ。この小生に取っての新定義、実は知っていた。柳沢桂子さんの般若心経解釈にも触れてあるし、テレビ番組でも彼女から直に?聞いたのだった。世界は一元的なもの、すなわち原子の織物である。しかし粗いと密の程度差があり、密集しているところがたとえば生物である。

しかも、おおよそ物質はエントロピーが増大するほかないので、つまり生命的には死ぬほかないので、これをできるだけひきのばすために、死なせる前に自ら壊して、新しい材料でさっさと更新していく。(何を?とか何が?とか尋ねないでほしい)
原子だが、アミノ酸だか、細胞だか、しらないが。というか、結局同じことだが。
生命は他の有機物を摂取する。それを完全に原子レベルまで分解する。新しい材料でアミノ酸の鎖を作る。片方ではすでに壊してあるので、そこに肩代わりする。その両方のすばやさと言ったらない。
形はそのまま堅固に見える。しかし我々の中身はまるで原子のながれる川である。この形の中を物質が通り過ぎて行く。そうでなければ死ぬのみなのだ。

こんなことを研究してもらって本当に有難い。最初は例のシュレーディンガーさんだったか。柳沢さんによれば仏陀が最初にそれを悟った人だと言う。


読み返してみて最初の質問を無視していたことに気づいた。原子の小ささでは余りに位置が不確定なのである。
つまり、、、その、ブラウン運動とか拡散とかの話があって、、、
数億の単位で集まるといかに不確定な原子でも、大多数は確定的な状態になる。
それでその、おのづと物質は、化学的にも物理的にも大きく存在する。
というわけで以上、不正確なことを書いたため日本語まで不正になってしまった。
いずれにしろ、こういう程度で自分の理解には通用するというにすぎない。
誰が読んでくれた人には、ごめんなさい。本日終了。