私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

最近の睡眠導入本が量子論に偏り過ぎたので、小説雑誌などを取り上げてみた。

わたくし、虻蜂取らず、の性質あるらしく、というか、どの道もものにならないのでよそ見しているだけ、というか、自分が分からない、とうか、あきらめが悪い、というか阿呆、というか。


ともかく、時には、言葉と構築の天才たちのセンスのままに広がっていく小説の世界に入らんものと、意図的に意図せずに、文芸雑誌を開けたものです。
たちまちそこに猫という文字がいくつかあったわけです。
!という感じで目が止まります。

やりましたね。天運我を見放さず。
斉藤は、と作者(多分男性)によって呼ばれるアルバイトのお兄さんと、めぐみは、と呼ばれる同棲中の彼女との壊れかかった関係のまっただ中に入っていきます。
彼らが一週間ほど世話したのら猫を、チラシを作って探すてはずをはじめる。
かなり退屈な描写です。話の中で意味があってのことか、どうもそうとも思われない。言葉のひとつひとつが煌めいていない。
はやくも本を閉じました。首をひねって、さて、考えます。

誰が主眼か。猫という存在か。その周囲の人間か。まずはこれを決定かなあ。
話し手は誰。空の上の人か、登場人物の一人か。
猫という存在賛美に集中するか。人間関係を反映させるか。人間と人間界を猫世界と対称させるか。
考えるのも楽しい。
日本にするか、何語にするか。猫語? 漱石流に?
本当は、夢を見ている暇はないのだが。