私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

先日は書きかけで中断せざるを得なくなり、しかし、そのままほおっておいていいものかどうか分からず困った。

昨今の情報。1980年代に入ってから、アスペルガー症候群なるものをアスペルガー医師が認識し、概念として固定させた。これに関して、愚考した。ヒトの頭蓋が産道の大きさに比して危険な程大きくなりすぎたことは、もっと真剣に考察されるべきではないか。母親の骨盤の継ぎ目が緩む一方で、赤ん坊の頭蓋骨数枚の継ぎ目がわずかに重なり合う、そんな仕組みで頭が出て来る。しかも、適当な方向性を保たなければ通り抜けることはできない。うしろからは激しく押されるのに、どうしても引っかかったままだ。できない。これは恐ろしい経験だ。人生の最初の絶望的経験だ。
小生実は、長いこと産道に引っかかっていた。人生の半分の時間、同じ絶望の夢をときに見た。暗い部屋にいる。頭上に小さな窓があり、どうしてもどうしてもそこをくぐり抜ける手はずになっている。絶対命令だ。いやだ、こわい、と思う。堪え難くいやだ。死にたくない。しかし押し込まれる。案の定苦しい。息が続かない。夢の中で「だからいやだって言ったのに」と別の意識が言う。死にそうになる。と、不意に明るい。頭が外に出た。息ができる。思いっきり呼吸する。呼吸できる。自由だ。清々しい。もう一瞬前までの苦悩を忘れた。
しかし、どこかで覚えているかもしれない。あるいは脳に支障が起きたかもしれない。
こんな経験はほとんどの人類が持っているはずだ。しかし、単純に考えて、最初から帝王切開と決まっている出産の場合、これを体験せずに産まれるはずだ。その後の発達に何か差が出ているのかもしれない。