私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

いつもの情報源である毎日新聞に、日本クリスチャンアカデミーなるところの講演について小さなコラムがあった。

キリスト教とは「イエスに人間の本質と可能性を見、イエスの生死に学ぶ宗教」と見なされるべきではないか、とある教授が提案した。
その教授の言う意味とは違うかもしれないが、数年前、ある瞬間、小生の脳裏にある認識が降り落ちて来た。たとえ妄想であれ、人類の罪を自分の死であがなうと、思い込んでしまった男のことである。その心を思うと哀れである。涙が勝手にその時流れたのは、イエスへの憐れみだったのか。同じ人間としての。
脳はわからないことを我々にさせる。脳をなだめてやることもできるのかな。