2007-03-25 いつもの情報源である毎日新聞に、日本クリスチャンアカデミーなるところの講演について小さなコラムがあった。 キリスト教とは「イエスに人間の本質と可能性を見、イエスの生死に学ぶ宗教」と見なされるべきではないか、とある教授が提案した。 その教授の言う意味とは違うかもしれないが、数年前、ある瞬間、小生の脳裏にある認識が降り落ちて来た。たとえ妄想であれ、人類の罪を自分の死であがなうと、思い込んでしまった男のことである。その心を思うと哀れである。涙が勝手にその時流れたのは、イエスへの憐れみだったのか。同じ人間としての。 脳はわからないことを我々にさせる。脳をなだめてやることもできるのかな。