私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

 今さっきねむの木学園の新しい展示館の紹介番組を見た。

宮城マリ子という永遠の少女のような女性が、生まれてはきたものの行き場のない子供たちを引き取り、そればかりでなく絵を描くという喜びを共に分かち合うようになった。 40年にわたるその行為を「まるで命じられたみたいなの」とふくよかな唇で語った。
自分はまだ、命じられてことを成すような命運ではない。かなり残念な気がした。

もっとも、心理というのはなかなか巧者であるので、「これはこうである」などと、そんなにすっきり理解できはしまい。


本日の毎日新聞など、私の切り抜きは、こんな関連を示していた。
明治以来我が国が(安倍さんの口調に似てます)ドイツ文化を師と仰ぎ、憧憬を持ってあらゆることを取り入れ、突っ走ってきたこと。
日本は特別であるかのように喜んで考えがちな我が国であるが、これは誤解である。特に良くもなく、特に悪くもない国であったこと(ゴードンさんという人が本を出した)。
第二次大戦の終結へ向けて、アメリカ側でさまざまに降伏後の日本復興を考慮した攻防があったこと。そこには今から考えれば天の配剤のような(この表現は使ってないが)歴史の流れがあったと。これはまさに日本特別視の一例のようにも見える。防衛大学長の一文である。


うまく戦後に突入した日本、ドイツからアメリカへすいすいと移り変わってきた我々。それゆえに以前の日本文化のしっぽはつけたまま、西欧文明への憧憬もいだいたまま、たらふく食べてはいるが未消化で、何者かでありたいわが世代が、グローバルな世界で迷子のように彷徨している。この最後の部分は小生の発言であります。