私家版マスメディア〜logo26のシニアの生き方/老婆の念仏

何が出てくるやら、柳は風にお任せ日誌、偶然必然探求エッセイ

 カテゴリーを作るつもりだが? ルービンシュタインに泣かされるの巻。

実は今を去ること十日にもなろうか、もう思い出せないけれども、何か理由はあったと思うがピアノ曲を聞こうと思った。そうだ、ショパンの作品に対する興味からだった。具体的には分からないが。
バスに乗って、CD屋さんでしゃがみ込んで見ていると、いわゆる葬送行進曲付きソナタが二枚並んでいる。おや、とこのことに注意を向けたのは、ある古い記憶が浮かんだからだ。ルビンシュタインの古い録音のものと、これよりは新しい、聞いたことの無いピアニストのもの。しかももう一曲も同じときている。値段は二千円以下だ。迷わず二枚とも購入。小生時々太っ腹になる。
とりあえず、無名者の演奏、例によりヘッドフォンで。音がぴらぴらとよく転がって行く。数小節分がひとかたまりになっているようだ。退屈して来た。そして何より、ショパンは何を思って作曲したのか。何が面白くて、何を表現したくて、どんな気持ちで創作したのか、そんな疑問がモクモクとわいて来た。聞く意味ない。二曲我慢してから切った。
翌日、有名だけどおじいさんで、録音も戦後すぐだし、などとしぶしぶながらヘッドフォンの端子?を耳の穴に押し込んだ。ジャアンと最初の和音が聞こえた。わたくしはぶったおれそうになった。魂(あるとして)を感情で包まれたような感覚だ。音はひとかたまりではなく、ひとつひとつがそれぞれ違う響きを持つ。ひとつの音すらゆらめいて無数の情感をかもしだす。指の一押しごと、そのさなかにも、多彩なメロディが、音の意味が、聞き取れる。それは耳ではなく、魂で感じる波動だ。臓器である心臓がぎゅうとしめつけられた。ルビンシュタインの音に引きずられるままに心がムギュムギュとなり、悲喜こもごもの(というとありきたりだが)感情にさらされた。悲しい感動。いろいろな悲しみが現れては現れ,まるで初恋の心のように揺れ動かされた。
彼によって、ショパンは復活した。演奏者はこんな風に曲を享受させるのだとわかった。おたまじゃくしから小川や草や鳥や雲を,風を解釈する。優れた演奏者は意味と感情と、そして思想もここに展開してみせる。
この経験は、考えてみれば二度目だったのに、どうも一度目を例外視していたのだとわかる。このことについてはまたまとめてみよう。